考えてみてください。長年製造業に勤めてきた人であれば、製造業がその人にとっての「水」となります。製造のことしか知らないのです。その人のお父さんや、お父さんのお父さんも製造業に勤めてきました。大学で学んだことも製造についてで、初めてのインターンシップも商品を製造する工場でした。30年にわたって学んできたことや、してきたことはすべて、コンベアと製造に関することばかり。そのため、まわりには製造業以外なにも無いと考えてしまいます。
われらが愛すべき金のさかなは、よその世界との繋がりがほとんど無いため、よその世界についてほとんど何も知りません。 「水槽外界(パラクアリア)」から独立した(とゴショー自身は思っている)自足的で「自律した」あり方は、それほど悪くはなさそうです。 水槽にはゴショーの意思の及ばないうごきがあるのかもしれないという考えは、しっかりとした合理主義的な彼女の考え方からすると、ちょっと深遠にすぎる理解しがたい概念でした。
ゴショーは水槽の中で自分が正真正銘の女王様であることを確信していて、好きなことばかりしているんです(そうもいかない時もありますが)。ゴショーにとってこれはダキョーできないことなんです。ただ、水槽の壁の遥か彼方、超現実的なまでに遠いところにも何かがあるという思いつきは、ゴショーにも1回か2回(多くて3回)はありました。その時でさえ、それはあいまいな、ぼんやりとした夢に過ぎなかったのです。
ゼネラル・エレクトリック社の伝説の最高経営責任者であるジャック・ウェルチの名言に、「組織の内部の変化が外部の変化についていけなくなったとき、終わりはすぐそこに来ている。」というものがあります。
愛すべき小さなゴショーにとって生活はただ続いていくものです。水槽の流れが穏やかで清閑で、大きくて澄み切った鏡のように波風のない日もあれば、次の日にはすべてがひっくり返ることもあります。どこからともなく突風が吹いて、水が緑色に濁るのです。そして時には禍々しく暗い青に染まり、完全な漆黒のように見える時すらあります。他のさかなや貝、砂、すべてが刹那のうちに目の前から消えていきます……ただ見えるのは、行く先々ですべてをうち砕き荒れ狂う猛烈な波ばかり。
金のさかな(水槽ではなく)の、外の世界とのつながりは
ゼネラル・エレクトリック社の最高経営責任者
(1981~2001年)
組織の内部の変化が外部の変化についていけなくなったとき、終わりはすぐそこに来ている。